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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)1812号 判決

原告 横堀亀吉

右訴訟代理人弁護士 落合光雄

右同 中川徹也

被告 平川あき子

〈ほか二名〉

右被告三名訴訟代理人弁護士 中本源太郎

主文

一  被告らは各自原告に対し金七二万二二二二円及びこれに対する昭和五五年三月六日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告の負担とし、その余は被告らの連帯負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し各自金三三三万七二二二円及びこれに対する昭和五五年三月六日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和五二年一〇月一二日被告らの先代平川実から同人所有の別紙物件目録記載の建物(以下、本件店舗という)を、期間三年、賃料一か月金八万円、敷金二〇万円及び権利金二〇〇万円の約定で賃借し、同日右敷金と権利金を支払った。

そして原告は、実の承諾のもとに本件店舗を後記のとおり修繕改装し、妻とともに大衆酒場を営業してきた。

2  被告らは、昭和五三年三月三一日実の死亡により本件店舗の所有権を共同相続し、その賃貸人の地位を承継した。

3  昭和五四年八月原告の妻が病気となり、原告のみでは本件店舗の営業を継続することが困難になったため、原告は、被告平川あき子に対し訴外大場まつ子を雇傭し店をまかせる旨申入れたところ、被告らは、昭和五四年九月一日から本件店舗を直接大場に賃貸し、これを引渡し、それゆえ原告の本件店舗での営業が不能となった。

4  そこで原告は、昭和五四年一二月二一日被告らに対し債務不履行を理由に本件店舗の賃貸借契約を解除する旨意思表示し、これは翌二二日被告らに到達した。

5  ところで原告は、本件店舗において営業開始以来少なくとも一か月金二〇万円の利益を得ていたから、昭和五四年九月一日から約定の賃貸借終了期日である昭和五五年一〇月一一日までの得べかりし営業利益は金二六〇万円であるところ、原告は、被告らの債務不履行によって、右金二六〇万円より昭和五四年一〇月分(同年九月分は支払済み)以降右賃貸借終了期日までの賃料相当額合計金九六万円を控除した金一六四万円の得べかりし営業利益を失い、同額の損害を被った。

6  原告は、本件店舗で営業を始める際に、(1)壁の全面塗装、(2)カウンターの増設、(3)店舗入口の拡張(半間から一間へ)と改修、(4)勝手口及び調理場の新設・改修、(5)その他本件店舗の老朽化部分の改修の各修繕改装を行ない、そのために金七七万五〇〇〇円を出捐したが、本件店舗は右改装等によって現在も右同額以上の増加価値を有する。

7  そこで原告は、被告らに対し、敷金二〇万円、権利金二〇〇万円のうち約定の賃貸借期間三年のうちの未経過期間部分(一三か月)に相当する金七二万二二二二円、有益費金七七万五〇〇〇円及び損害金一六四万円の合計金三三三万七二二二円とこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五五年三月六日から完済に至るまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金を各自支払うよう求める。

二  請求の原因に対する答弁

1  請求の原因1は認める。

ただし金二〇〇万円は権利金の約定で授受されたものではなく、それはいわゆる単なる礼金にすぎず、本来賃貸借契約解消時に賃借人に返還さるべき性格の金員ではない。

2  同2は認める。

3  同3のうち、被告らが本件店舗を昭和五四年九月一日大場に賃貸、引渡したことは認めるが、その余は否認する。

4  同4は認める。

5  同5のうち、原告が本件店舗で一か月金二〇万円の利益をあげていたか否かは知らないし、その余は否認する。

6  同6のうち、原告がその主張する改装等を行なったことは認めるが、その余は否認する。

7  同7は争う。

三  抗弁

1  原告と被告らは、昭和五四年八月二八日本件店舗の賃貸借契約を解除する旨合意した。

2  そして被告らは、原告の希望で本件店舗を新たに大場に対し賃貸することにしたのであるが、右同日原告と被告らは、原告の差入れていた金二〇万円の敷金については原告が大場との間で清算することとし、原告は被告らに対し右敷金の返還を求めない旨合意した。

3  原告は、本件店舗の賃貸借契約を締結する際に被告らの先代実との間で、本件店舗の改装等の工事に要する費用は原告が負担する旨約したから、被告らに対し費用償還請求権はない。

四  抗弁に対する答弁

抗弁事実はすべて否認する。

五  再抗弁

1  仮に被告ら主張の合意解除が認められるとしても、被告あき子と不動産業者である竹田文夫は、右合意解除の際、原告に対し、真実はそのようなことはないのに、およそ賃借店舗においては賃借人自身が営業をなすべきもので従業員を雇傭して営業することは法律上許されないと言って原告を欺き、その旨誤信させたうえ、解除の合意を成立させた。

そこで原告は、昭和五五年四月三日の本件第一回口頭弁論期日において右解除に同意する旨の意思表示を取消す旨意思表示した。

2  仮に然らずとするも、原告は、右合意をした当時、およそ賃借店舗においては賃借人自身が営業をすべきもので従業員を雇傭して営業することは法律上許されないものと誤信していたので、右合意の際、原告は被告あき子に対し右のように法律上許されないので本件店舗の賃貸借契約の解除に同意する旨を述べた。

したがって、右合意解除は無効である。

六  再抗弁に対する答弁

再抗弁事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  原告が昭和五二年一〇月一二日被告らの先代平川実から同人所有の本件店舗を、期間三年、賃料一か月金八万円、敷金二〇万円の約で賃借し、同日右敷金及び金二〇〇万円を実に支払い、妻とともに本件店舗で大衆酒場を営んできたところ、実が昭和五三年三月三一日死亡し被告らが本件店舗の所有権を共同相続してその賃貸人たる地位を承継したことは、当事者間に争いがない。

二  また昭和五四年九月一日被告らが大場まつ子に対し本件店舗を賃貸したことも当事者間に争いがない。

1  ところで、《証拠省略》によれば、次のような事実が認められる。

原告は、妻が病気となり自分一人では本件店舗での営業が困難となったため、大場と話合い不動産業者である奥村毎通に依頼して、昭和五四年八月二六日左のような条項を骨子とする原告及び大場の各署名押印をした「営業支配委任揚銭契約書」を作成してもらい、被告らの承諾を得るべく翌二七日右契約書を持参のうち大場、奥村と共に被告あき子を訪ずれたが、同被告は、検討するとして右契約書(又はその写)を預ったものの、承諾するか否かを保留したこと、

(一)  原告は大場を雇傭し本件店舗の総支配人と定め営業の一切を委任する。

(二)  利益(揚銭)の分配営業利益は本来はその発生の都度大場より原告に納入するのが建前であるが、本契約はその手順を省いて原告の直接営業時の実績を参照して利益のいかんにかかわらず一か月金……(空白)円也を大場より原告に前納し残りは諸経費並に大場の所得に充当する。

(三)  大場は電気・ガス・水道・電話使用料のほか本店舗の営業に関する一切の経費を負担する、本件店舗に附属した器具代、備品等を良識をもって管理し破損故障等の際は大場の負担にて修理し常に営業に支障ないように保持するものとする。

(四)  本契約成立の際大場は原告に什器備品等に対する保証金として金……(空白)円也を預託する。

(五)  本件店舗の営業に際し店舗の模様替、改造、店名の変更業種替等の必要を生じた時は必ず事前に原告の承諾を得るものとする。

(なお、右空白の各金額については、被告らの承諾を得た後に、原告と大場が話合って決定する予定であった。)

かくして、同月二八日か二九日に、右契約が本件店舗の転貸に当ると判断した被告あき子は、原告に対し承諾しない旨伝えるとともに、同日の夜原告と大場夫婦をさそい共に不動産業者の竹田文夫の事務所に赴き、同所で竹田もまじえて話合ったところ、右契約は転貸になるとの竹田の意見もあって、結局原告は本件店舗での営業を断念することにし、被告らが直接大場に対し本件店舗を賃貸することに結着し、原告はおそくとも同月末までに本件店舗を明渡したこと、

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  右認定事実によれば、原告と被告ら間の本件店舗の賃貸借契約は、昭和五四年八月二八日又は二九日に合意のうえ解除されたものと解せられる。

そこで原告は、要するに、被告あき子と竹田が右合意解除の際賃借店舗では従業員を雇傭して営業することは法律上許されないと言って原告を欺き誤信させたと主張する。原告本人は、確かに竹田が使用人を使うのも駄目だと述べたという供述をしているが、他方証人竹田は、原告から前記契約で駄目なら使用人を使うのはどうかと聞かれたが、この契約書が見つかったからでは大家は承諾しないだろうと答えた旨証言していて、直ちに原告の右供述を信用することはできないのみでなく、竹田の右返答自体単なる同人の意見若しくは憶測にすぎないのであって、原告を欺罔するような言動とは到底いえず、また他に右主張を肯定するに足る証拠もない(なお、原告と大場との間の前記契約書における本件店舗の営業形態は、実質的にみて本件店舗の転貸と評価せざるをえないと解する)。

更に原告の錯誤の主張もこれを認めるに足る証拠はない。

3  以上のとおりであるから、被告らが本件店舗を大場に賃貸引渡すことによって原告の本件店舗における営業を不能にしたとの原告の主張は全く根拠がなく、したがって、右主張を前提とする損害賠償請求は、その余の事実を判断するまでもなく失当である。

三  次に、原告は、被告らに対し金二〇万円の敷金の返還を求めているところ、《証拠省略》によれば、前記解除の合意の際、原告と被告ら及び大場の三者間において、原告が被告らに差入れている敷金二〇万円は、大場が被告らから本件店舗を賃借し被告らに対し支払うべき敷金の金二〇万円に充当し、大場はその敷金相当額金二〇万円を原告に支払う旨合意した(実際その後原告は大場から右金二〇万円の内金として少なくとも金一六万円の支払を受けているし、他方被告らは大場から右敷金の現実の支払は受けていない)ことが認められ、右認定に反する趣旨の原告本人の供述部分は右証言等と対比して採用しがたいから、この点に関する被告らの抗弁は理由があり、結局原告の右請求は失当といわざるをえない。

四  さきに記したとおり、原告は、本件店舗を賃借した時に金二〇〇万円を実に支払っている。ところで、《証拠省略》によれば、右金員は、「契約金として」又は「礼金」の名目で授受されたこと、本件店舗が飲食店の営業目的で賃貸され、その賃借権の譲渡、転貸の自由が禁止されていること及び賃貸借の解消時における右金員の返還請求の可否等その処置に関し特段の約束もなかったことが認められる。そして、本件のその余の事情もあわせ考えると、右金員は、主として本件店舗の場所的利益に対する対価、したがって実質的にいえば本件店舗の賃料の前払たる性格を有する権利金であるとみるのが妥当と解せられる。

被告らは、右金員は単なる礼金にすぎないと主張するが、世上権利金を「礼金」と呼ぶことがしばしばあり、したがって「礼金」の名称で授受されたからといって直ちに権利金ではないと解することはできないのみでなく、そもそも金二〇〇万円にものぼる多額の金員を賃貸借を契機として単にお礼若しくは感謝の印に賃貸人に贈与する趣旨で支払うなどとは到底考えられず、本件の場合は特にそのような趣旨のもとに右金員が授受されたことを認めるような事情も全く見当らない。

かくして、右金員が前述の性格を有する権利金であるとすれば、本件のように期間の定めのある賃貸借で、それが途中で合意解除により解消するに至った場合、残存する期間に相当する部分(すなわち、昭和五四年九月一日から昭和五五年一〇月一一日までの一三か月と一一日間分の一か月金五万五五五五円の割合による金員―なお原告は、本訴で一三か月分の金七二万二二二二円のみを請求している)は、賃貸人においてこれを返還すべきである。

五  次に、原告が本件店舗で営業を開始するに際し、本件店舗に対し請求の原因6記載の各改装、修繕を施したことは当事者間に争いがない。

しかし、前掲甲第一号証(賃貸借契約書)、《証拠省略》を綜合すると、本件店舗は原告が賃借する以前スナック店であったから、これを大衆酒場として使用するには改装等が必要であったため、その旨原告が実に申入れたところ、賃貸借契約締結の際、右改装等は原告の費用負担をもって行なう旨合意し、その旨第一四条として記入されたことが認められる。

したがって、右改装等のため原告が費用を出捐した《証拠省略》によれば、原告は改装修繕のため合計金七七万五〇〇〇円を支出したことが認められる)としても、右費用負担の特約によって将来発生することのある有益費償還請求権を放棄したものと解せざるをえない。

もっとも、右甲第一号証によれば、第一四条の特約のほか、なお第七条に有益費の償還に関する条項が存在していることも認められるが、右特約によって、少なくとも開業の際の改造等に基づく本件店舗の価値増加に関する限り、その有益費の償還につき第七条の適用が排除されるものと解するのが合理的であり、かつそう解するのが当事者の意思にもそうものと考える。したがって、原告の有益費償還請求は理由がない。

六  以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、結局被告らに対し権利金の一部たる金七二万二二二二円(この返還債務は、一個不可分な賃貸借契約の解消に基づき発生する一個の債務であるから、被告らにとって不可分債務である)とこれに対する本訴状送達の日の翌日である記録上明らかな昭和五五年三月六日から完済に至るまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の各自支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項但書を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大澤巖)

〈以下省略〉

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